現代社会は「頑張ること」が美徳とされがちです。「もっと努力を」「休んでいる暇なんてない」「走り続けなきゃ置いていかれる」。そんな言葉に追われて、自分をすり減らしている人は少なくありません。
でも、ちょっと待ってください。
本当に、いつも全力で頑張らなければいけないのでしょうか?
実は「頑張らないことを頑張る」という視点には、私たちの人生に深い意味をもたらす力があります。
自分の心と体に気づけるようになる
頑張りすぎていると、自分の限界に気づけなくなります。
休むことに罪悪感を持ち、疲れていても「まだいける」と無理をする——その積み重ねが、心身の不調につながります。
そこで、「頑張らない」ことを意識すると、自分の状態に敏感になります。
「今日はちょっとしんどいかも」
「無理せず、明日に回そう」
そんな風に、自分の心と体の声をちゃんと聞けるようになります。
本当に大切なことが見えてくる
いつも何かに追われていると、視野が狭くなります。
「成果」や「評価」ばかりを気にして、本来大切にしたいものが見えなくなることもあります。
でも、立ち止まって、あえて“頑張らない”時間をつくると——
家族や友人との会話、空を見上げる時間、ふとしたアイデアや感情に気づく時間が生まれます。
そこにこそ、人生を豊かにするヒントが隠されているのです。
パフォーマンスが結果的に上がる
意外かもしれませんが、「頑張らない」ことで、逆に生産性が上がることもあります。
私たちはずっと集中していられるわけではありません。適度な休息や緩みが、脳や身体のリフレッシュにつながり、結果的に仕事や勉強の効率が上がるのです。
スポーツ選手でも、一流の人ほど「休む技術」を持っています。
頑張らないことは、決して怠けではなく、「次に頑張るための準備」でもあるのです。
他人に優しくなれる
自分に厳しいと、無意識に他人にも厳しくなってしまうことがあります。
でも、「頑張らない自分」を許せるようになると、「頑張れない他人」にも優しくなれます。
「この人も疲れているのかもしれないな」
「自分と同じように、無理しているのかも」
そう思えるだけで、人間関係がずっと柔らかくなり、温かさが生まれます。
「自分らしさ」を取り戻せる
何かに一生懸命取り組むことは素晴らしいことです。
でも、それが「本当の自分」から遠ざかってしまっては意味がありません。
頑張らない時間は、「私は本当は何をしたいんだろう?」と問い直す時間。
誰かに褒められるためではなく、自分が心からやりたいことを見つけるチャンスなのです。
おわりに:頑張らないことは、逃げではない。
「頑張らない」という選択は、決して甘えではありません。
むしろ、勇気と誠実さが必要な行動です。
周囲の期待やプレッシャーに流されず、自分の感覚を信じて休む。
その姿勢こそ、これからの時代に求められる“賢さ”ではないでしょうか。
ときには全力で頑張っていい。でも、同じくらいの頻度で、あえて頑張らないことも、自分のために選んであげてください。
それが、あなたの人生をもっと豊かに、もっと自由にしてくれるはずです。
補足
当たり前を疑うってとても大事なことです。
他人と比較して、落ち込んで、病んで、自ら命を落とす生物って人間くらいでしょう。人間の当たり前に揃える必要なんてないんです。
私自身、学生時代はそこそこ勉強ができる方だったので「もっと頑張れ」って様々な方から口酸っぱく言われてきました。もちろんそれが愛ある言葉だとは認識していましたよ。頑張ったら良い高校、良い大学に入れる、そして良い企業に就職できる。それが親孝行にも繋がる。良いことづくめです。
ただ、私はそうしませんでした。親不孝者です。今も心配をかけてます。
そんな私でも今生きてます。生きて世界のどこかのホークスファンに有意義かどうか分からない情報を発信し続けています。
それでいいんじゃないですか。
とにかく自分のペースで。一歩ずつ。人間なので複雑な感情を持ちながら、前に進んでいきます。
全然関係ないですが、「tidy」という英単語の意味をご存じですか?
スペルだけを見て直感で訳すと「怠惰な」です。でも実際の意味は「きちんとした」なんです。
面白いですよね。
それだけです。とくに気の利いた事を言えないので終わります。
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