「エース」という言葉を聞いて、皆さんが一番に思い浮かぶものは何ですか?
- 投球回数
- 勝ち星
- 堂々とした立ち振る舞い
他にもいろいろあります。
その中で今回は勝ち星に焦点を当てました。
「10勝」という数字が非常に分かりやすいと思ったからです。
初めて10勝に到達した年齢
調査したのは、ホークス投手が初めてシーズン10勝に到達した年齢。
先発中継ぎに拘らず、二桁勝利をホークスで初めて達成した投手をピックアップしました。
※例えば中継ぎで14勝を達成した篠原投手や、西武からFAでホークスに来た工藤投手も含めます。
1938~2023年の85年間で二桁勝利を達成した77名の投手がこちら。
緑が南海、オレンジがダイエー、黄がソフトバンク時代に達成した投手です。
南海が最多の49名,ダイエーが16名,ソフトバンクが12名でした。
また、年齢別に見てみると23歳が一番多いです。
因みに2024年に23歳を迎えるホークス投手は以下の7投手。
松本晴,ルイスロドリゲス,村上舜,岩井俊介,村田賢一,宮里優吾,星野恒太朗
非常に楽しみです。
南海時代
1938~1988年(50年間)の南海時代を詳しく見ていきます。
因みに南海は少しずつ球団名を変えています。
- 南海軍(1938年秋 – 1944年5月31日)
- 近畿日本軍(1944年6月1日 – 1945年)
- グレートリング(1946年 – 1947年5月31日)
- 南海ホークス(1947年6月1日 – 1988年)
二桁勝利に到達した49名がこちら。
49選手もいる中で、19~29歳の間に全選手が収まっていることが驚きです。
これには3つの理由があります。
- 先発完投型でなくては生き残れない
- 投手の数が少ない
- 戦死者が出る
- お金がない
2023年度のホークス在籍投手は支配下35名,育成30名,計65名(二刀流投手を含む)。
反対に、85年前の1938年の南海は投手全員でたったの6名。
投手に対する認識の違いが明らかです。
投手は絶対完投
連投当たり前
怪我をするな
痛くても投げろ
今ならあり得ません。
戦時中のプロ野球選手は戦死者も当然のように出ます。
お金が無いので本当に最低限の投手数しか雇いません。
30代で初めての二桁勝利は物理的に難しかったのではないでしょうか。
ダイエー時代
次に1989~2004年(16年間)のダイエー時代を詳しく見ていきます。
二桁勝利に到達した16名がこちら。
22~26歳と30~32歳でざっくり分かれています。
22~26歳は生え抜き組、30~32歳は田之上投手を除き移籍組です。
南海時代と異なる点は、19歳から酷使されないことと30歳からでも10勝以上勝てることです。
戦争で選手が失われない
南海時代よりも金銭面にゆとりがある
南海からダイエーで確実に選手環境は良くなりました。
また、先発が長いイニングを投げることは保ちつつも、少しづつ中継ぎとの分業を図るようになりました。
その最たる例が中継ぎで14勝を挙げた篠原貴行投手です。
ソフトバンク時代
最後に2005~2023年(19年間)のソフトバンク時代を詳しく見ていきます。
二桁勝利に到達した12名がこちら。
南海は50年で49名、ダイエーは16年で16名。
1年当たり1人の10勝投手が誕生しました。
それに対して、ソフトバンクは19年で12名。
また、12名中5名が外国人orFA投手です。
南海ダイエー時代よりもお金で何とかしようという姿勢が見て取れます。
投手の分業制がさらに進み、1週間に1回,6回3失点の投球をすれば先発責任は果たしたと言うようになり、先発完投型の投手は確実に少なくなりました。
その分、近年は中継ぎの負担に注目が集まっています。
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